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義肢装具の歴史

世界の義肢装具の歴史

古い義肢

足の切断は古くからあったようで、インドの医学書「リグーペダ」の中に、義眼や義歯や義肢の用いられたことが書いてあるのがその最も古い記録である。

これは紀元前1500年から800年のものといわれている。1868年、イタリアのナポリの近くにある紀元前三世紀頃のカプアの墓から発掘された義足は、「カプアの棒義足」といわれこれの模作は英国王立外科学会に所蔵されている。

1862年、パリ近郊で発掘されたイオニア人の花瓶にも、下腿の棒義足が描かれているがこれも紀元前四世紀頃のものと思われる。 義手の記録は義足に比べるとずっとおくれる。鉄製義手で有名なのがゲッツフォンベルリヒンゲンのものである。彼は実在の人物でベルリヒンゲンの義手が有名なのは、彼白身の書いた自伝があることのほかに、ゲーテが1773年に書き疾風怒涛を時代のきっかけとなった「鉄の手のゲッツフォンペルリヒンゲン」という戯曲に負うことが多い。ともあれ中世から宗教改革ルネッサンスヘとうつる騎士道はなやかな時代であり、この義手にまつわる物語は絵巻物を彷彿させるものがある。

第一次世界大戦と義肢

第一次世界大戦(1914~18)は、参戦各国に多くの切断者がでた。

そのため義肢の研究、発達はめざましいものがある。

ドイツでは1915年ベルリンに義肢検定所〈Prufsteliefur Ersatzglieder) ができ、義肢の検定、規格化が行われた。英国でも1915年ローハン プトンに義肢センターが作られた。

アメリカでは1917年、アメリカ義肢製作者協会が作られ戦傷による切断者への義肢支給を円滑にすることが試みられた。

そのほか、国際的な動きとして、第一次世界大戦で切断者が多くでた オーストリア、フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、ポーランドの代表が1921年ジュネーブに集まり、1919年のベルサイユ条約の結果生まれた国際連盟の国際保護機関と、国際赤十字に義肢についての国際情報交換のための書物の出版、研究体制の確立、国際義肢展示会の開催などを依頼した。その結果1924年国際連盟の一機関であるlLOが「Artificial Limbs」を出版している。

当時それ以外のことは実現されておらず、すべて第二次大戦後になって実現されるわけであるが、そのときに切断者への対応が国際レベルで考えられた意義は大きい。

第二次世界大戦と義肢

ドイツでは1920年代から大腿義足のアライメントを解決するため支柱のついた革、蝶番関節義足から木製義足へと変わっていった。木製義足は全く別の可能性をもたらした。それはソケットを木で作るとき、断端にうまく適合させると吸いつくようになることである。

第二次世界大戦後ドイツに進駐したアメリカ軍に注目され本国にもちかえられて今日の四辺形ソケットにまで発達し普及したのである。 またプラスチックの進歩とともに板状化が容易に行われることからPTBなど全面接着ソケットが普及してきた。

アメリカでは1912年切断者Dorranceにより能動フックが作られたが、これを用いる能動義手が大戦中開発され広く用いられるようになった。 また画期的なこととしては義手に体外力源を用いたこともあげられる。 この考えはすでに第一次世界大戦当時にもあったがモーターの小型化ができなかったため実現しなかった。リヒテンシュタインのWilmsの作った 電動義手、IBMのものはそのはじまりである。

ガス圧を用いる義手は1952年ハイデルベルク大学のOtto Haffnerによって作られた。電動義手もガス圧義手も今日研究され、また用いられている。