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義肢装具の歴史

日本の義肢装具の歴史

明治時代と義肢

わが国で義足を用いた最古の記録は、幕末から明治初期に立女方(たておやま)として活躍した歌舞伎役者三世沢村田之助(1845~78)であろう。

彼は19才の頃より脱疸にかかリ1867年(慶応3年)9月15日、横浜でアメリカ人医師Hepburn(ヘボン式ローマ字を考えた人)に左下腿切断をうけ、活人形師松本喜三郎の作った義足を用いたが、実用にならなかった。

翌年4月アメリカのセルホーフ社製の義足が届いたのでこれを装着し、また舞台にでたという。当時2200両であった。 これ以前のことはわからないが、現在でも山村僻地で竹をあんだ籠をソケットにした棒義足がみられることから、このようなものが用いられていたのかもしれない。 わが国で始めて義肢製作を専門としたのは1899年、大阪の歯科技工師奥村義松が創設した奥村済世館である。

当時の記録は少ないが、自らも切断者であった鈴木裕一が1902年に出版した義手足纂論は貴重なものといえよう。彼は後年日本義手足製造株式会社を作り現在もつづいている。 内容は義肢の理論性は乏しいが、切断者としての体験、義足の用い方が詳述されており、アメリカのMarksの本からの引用も多い。

日清(1894~95)、日露(1904~05)の戦争時恩賜の義肢が支給されたというが詳細は不明である。

乃木大将は1905年より日露戦争での上肢切断者に在来のものより一層便利な義手を考え、東京砲兵廠の南部麒次郎砲兵少佐に相談して乃木式義手を作った。 ヤットコの原理で、柄の一方を鎗術の胴に似たもので体幹に固定し他方の柄を前腕断端にとりつけてものをはさむようにしたものである。

第二次世界大戦と義肢

1937~1945年の戦争の間、陸軍により開発され普及したものに鉄脚といわれる義足と15年式義手がある。

鉄脚はアルミニウムのソケットに鉄の支柱をつけ、膝ロックで足部も鉄板になっている。これは、東京第一陸軍病院で作られたもので、これを用いての訓練の様子をかいたものに保利清軍医少佐の「義足に血の通うまで」というものがある。

これも科学的なものとはいえず、啓蒙に役立ったとしても精神主義がつよいようである。 一方15年式義手は臨時東京第三陸軍病院のスタッフにより開発、実用化、装着訓練、追跡調査がなされたこの原型は第一次世界大戦中、ドイツで開発されたタンネンベルグと呼ばれるものであった。

当時、日本の義肢のレベルがドイツより少なくとも20年遅れていたことを示している。